我が家の奇跡
2019年04月21日
我が家の奇跡、前々回のブログの延長です。お付き合いください。
春の兆しが見えてきた頃、90代の一人の男性とお別れをしました。
その方は、入居当初は「帰る!お世話になりました!」と毎日荷物を玄関まで運んで、杖を持ち、玄関で迎えを待っており、その度に、本人を説得し、お部屋に戻る・・・そんな毎日の繰り返しの方がいました。毎日はがきに、“ここを出ていくためにお金が必要だから持ってきてくれ”と家族宛に手紙を書いていました。食事以外の一日を自室で過ごし、リビングでみなさんと何かをするということはほとんどない方でした。しかし、月日がたち、帰るという言葉がなくなり、リビングの定位置で過ごすことが多くなってきました。皆さんの自室を周り、「早く!」と、言葉数は少ないですが、食事へと、他入居者さん達を誘っていました。同じテーブルの仲間に、自ら水を汲み、振る舞う。食事席の対面の方の薬を「だして」とスタッフに言う。時には、転倒している方を見つけて、スタッフに教えてくれるなど、入居時なかった行動や言動が見られるようになりました。その頃から、毎日のはがきには、“死ぬまでここにいるから、お金を持ってきて欲しい”という内容に変わりました。
いよいよお別れの時が近づいてきました。動きづらくなってきている身体で、なんとか自分で自分のことを行っていました。亡くなる一か月前ほどから、いつも一緒のテーブルで過ごしていた入居者様のお部屋のドアを開けることが更に増えました。お部屋にいると、「早く!」と声をかけていました。ご家族から、「今まで一人でなんでもやってきて、仲間とかなんて考えられない。」というその方は、私たちから見ると、仲間意識でとっている行動にしか見えませんでした。いよいよお別れの時に、その方は、声を振り絞って「帰る!」と言いました。久しぶりに聞きました。ご家族が集まる中で、家に帰りたくなったのかな・・・と思い、「どこに?」と聞くと、一定の場所に指を指しました。何度聞いても同じ場所を指さし、「帰る!」と言います。そこは居室でもなく、自宅でもなく、いつもずっと過ごしていたあのリビングの定位置の場所でした。すぐにベッドを定位置の場所に移動しました。いつものメンバーが寄ってきて声をかけていました。「早くよくなれよ!」「しっかりしなさいよ」と。ご本人もそれに応えるかのようにうなずきます。自分のいた場所をずっと見つめていました。そこから数時間後、ご家族に見守られながら静かに息を引き取りました。
立派な、本当に立派な最期でした。お別れ会でも笑いあり、涙ありの会でした。後日、ご家族が持ってきて頂いたお礼品の熨斗の水引は“赤”でした。立派な最期の幕引きは赤色でした。そんなご家族様の粋な計らいには脱帽でした。
どのような方でも、必ず最期の日はやってきます。いかに今までの日常を大きく変えることなく、自然に・・・嫌なことはせずに・・・。私たちの常の課題です。人生の最後を自分の家で迎えたいという方は多いと思います。現実、難しい方も多くいらっしゃるかと思います。少しでもお家にいる安心感をもって過ごしていただきたいと思っています。産まれてから亡くなるまでの歴史の中の一片を逸脱することなく、あくまでも自然に寄り添っていけたらと考えています。終わりよければすべてよし。あっぱれ!と感じられる最期は素敵だと思いませんか?